少年達の冒険が世界滅亡阻止の旅へ ファイナルファンタジー3
FINAL FANTASY III / ファイナルファンタジー3
発売日:1990年4月27日 ハード:FAMILY COMPUTER
※本文にネタバレを含みます。未プレイの方はご注意ください。
初めてプレイしたFFです。やっとGBを入手した筆者は(前々回の記事参照)、その年末に発売されたニューファミコンも購入。友達Aにドラクエ3を借りてプレイしていました。しばらくして今度は友達Bが貸してくれたFF3、色々と驚かされました。サイドビューでアニメーションする戦闘シーン。山や海岸線の滑らかな地形表現。書き込まれた街やダンジョンのグラフィック。一目で浮気してしまいました。ドラクエへの強い対抗意識、差別化を図っているのを感じました。
このFF3で確立し、後のシリーズに受け継がれた要素がたくさんあります。ジョブチェンジシステム、召還獣、世界の多重構造。メニュー画面のレイアウトや、ピョコっと飛び出すダメージの数字表現もそうです。アイテムのまとめ買いやアイテム欄の自由な並べ替え等、システム的なユーザビリティの高さも当時から高いレベルでした。シリーズ初のミリオンセラーになり、色んな意味でFFシリーズの基礎を作り上げた作品と言えます。
その世界観は逆ラピュタ。誰が言い出したか知りませんが良い表現です。山奥の辺境の村から冒険に旅立った少年達。船を手に入れ外海へ繰り出し、たどり着いた陸地を歩き続けるとその果ては断崖絶壁、眼下には雲の海。主人公達が暮らしていたのは、「浮遊大陸」だったのです。少年少女や空賊、軍隊が空に浮かぶ城を追い求める「天空の城 ラピュタ」とは全く逆の構成です。
そして、天翔る船を手に入れ雲を突き抜けると、そこは果てしなく広がる海。物悲しいBGMの中、世界をいくら飛び回っても陸地が見当たらず、やがて一隻の難破船を発見します。そこで出会った水の巫女、エリアと共に海底に沈んだ大陸を取り戻しに向うものの、彼女は主人公達を庇って命を失います。悲しむ間もなく激しい揺れに主人公達は意識を失い、目覚めたのはアムルの街。BGMの優しい旋律と元気な老人達が彼らの、そしてプレイヤーの心を慰めてくれます。
この一連のBGMはFF3のサントラ中盤に、「果てしなき大海原」「水の巫女エリア」「アムルの街」の順番で収録されています。戸惑い、悲しみ、そして癒しが表現されていて植松伸夫氏の作るメロディの中でも傑作の部類に入ると思います。
さて、今でこそオブリビオン等で全てが等身大の世界を冒険できますが、当時のハードの表現力の制約によるシーンによって背景の縮尺が変わる記号的表現が使われていたからこその、浮遊大陸から飛び出して縮尺が変わった際の「今まで冒険していたのはあんなに小さな世界だったのか」という驚きがあります。
フィールドに関しては、様々な乗り物を駆使して地形を克服したり、湖を泳ぐ黒い影を見て「いつかあの正体が分かるのかな」なんて思ったり、シリーズでも特に冒険感が高い作品です。なにより、名曲「悠久の風」!つい立ち止まって聞き惚れてしまいます。
シナリオはドラクエの様に完全に無言を貫く主人公ではありませんが、そのテキスト量は最低限です。ストーリー序盤では落とし穴に落ちた責任をなすり付け合ったりお姫様のベッドに潜り込んだりしていた主人公4人組ですが、中盤以降では父から愛されていないと感じる少年を諭すなど、口調もだんだんと変化しその成長を感じることができます。
ちなみに、筆者はいつも主人公4人の名前をゴーディ、クリス、テディ、バーンにしています。元ネタがわかるでしょうか?
待望のDS版リメイク作品もプレイしました。一部に不満もありますが、概ね良リメイクだと思います。そのうちDS版のレビューも書きたいと思います。
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